こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

タイブレーク制、ばんざーい

夏の高校野球こと甲子園大会が、「タイブレーク制」を導入することで話題になった。同点で決着がつかないとき、ノーアウト1,2塁からイニングを始めたりするシステムだ。

これの導入が決定するまで甲子園大会は引き分けのときは再試合を行う規定になっていた。これは狂気のようなシステムである。

高校生たちの疲労度や全体日程の進行を考えれば、再試合など絶対にするべきではない。プロ選手だってそんなことやらない。サッカーだって制限時間内に結果が出なければほとんど運みたいなPKで決めてしまうでしょう。

なのにこの規定がずるずると今まで運用されてきてしまったのには、いろいろな要因があるとは思うけど、いちばん大きいのは「再試合になると盛り上がるから」であろう。

盤石の広報布陣と応援文化

高校野球は、日本のコンテンツ界でもかなり最強クラスで、公共放送を占有して全試合が全国放映されるうえに、三大新聞社が後援してばんばん報道しまくるという異常なまでに強固な報道体制をもっている。

そして定期テスト後に合わせて地方予選が始まり、全国の高校生が全校応援に駆け付けて夏の最後の思い出を作って愛校心を高め、その1か月後、帰省の時期に合わせて全国大会を放映し、集まった親戚たちと地元の高校を応援して愛郷心を高める。

こんなに全国・全世代的に、放映システムと個人の内面から盤石の体制で日本に浸透しているコンテンツは他にない。

そんな中で「○○学園と××商業が再試合!」などとなったら、全国的に「うおおーー!」と盛り上がる。運営側からしてみれば、再試合というのはほとんどタダで最高のショーを提供してくれる規則なのだから、これを手放す手はないだろう。

しかし現場では

しかし現場(各県の高野連)にアンケートを取った結果、ほとんどの県がこの再試合に反対、つまりタイブレーク制の導入に賛成だったのだ。回答があった県のうち95パーセントが「タイブレーク制に賛成」の意見を出したそうだ。↓

私も高校生の野球大会を運営する立場になったことがあるが、正直、運営側からしてみれば、再試合規定などクソめんどくさい以外の言葉が見当たらない、意味不明な代物だった。

「甲子園が再試合だから」だけの理由で下部大会まで再試合規定を要求され、再試合が発生したときのことまで見込んで球場や運営校や審判の手配を調整しなければならず、心的・物理的負担は倍増すると言っていいものだった。
勝手にタイブレーク制を導入してはいけなかったので、結局、くじ引きで上位進出校を決めるというルールを適用せざるを得ず、どう考えてもタイブレークの方がマシだろうと何度も思ったものだった。

今回のアンケート結果は、各県の高野連が「再試合規定、無くなれ無くなれ……」と思い続けていたのが明らかに表面化した形になったと言っていいだろう。県高野連は中央組織と違って、現場教員の集合体なので、運営を省力化しないことには立ち行かないのである。

「熱戦」を期待するのをやめましょう

と、このように明確に悪であるとすら言える再試合規定なのだが、それでもここまでまかり通ってきたのは、「熱戦」を期待する国民のまなざしが原因なのではないだろうか。

こんなにも現場からNOを突き付けられているシステムであるにもかかわらず、「タイブレーク制の導入に疑問を呈する!」みたいな声はネット上にもまだ多く、新聞記者までもが堂々と「再考を要する」とか書いていて、「じゃあ、お前県大会運営しろよ」以外の言葉が見当たらない。

たまに、高野連は高校生をショービジネス化し、食い物にしている!と糾弾する高野連批判記事を見るが、そもそもそれを生み出すのは「熱戦」を期待する我々のまなざしだということも、意識するべきなのではないかと思う。

新生した女子校の陰に

三田国際学園という学校の教育内容を、研修などで見ることがある。

都内に縁がある人なら「どこそれ?三田高校じゃないの?」となるだろう。

正体は「戸板女子高校」だ。共学化を含む組織改革の一環として2015年に名前を変えたのだ。教育内容も革新し、次代を担う私学としてのブランディングをするために改称する。
こういうパターンはよくある。ほかにも広尾学園と改称した「順心女子学園」、渋谷教育学園渋谷にと改称した「渋谷女子」がなんかが有名だ。

2000年ごろ、少子化の影響を真っ先に喰らったのが都内の女子校で、一部の上位校をのぞき、生徒を格段に減らすことになった。どこの学校も定員に満たず、空き教室ができたという。

このとき、危機感を持った学校が大ナタを振るって組織改革した。

一見外部から見るときらきらして輝かしく思えるが、内部では結構なリストラがあったというウワサ話も聞く。まあ当然だと思うが……。

最近はICT機器の導入なんか当然になっているから、業者なんかが「先進モデル校」として紹介したりしてくるので、「こういう学校を目指せばいいのか……」と安易に思わされがちな教員もいるのではないかと思う。

しかし、その陰にはナタで切り落とされたあれこれが存在し、それがあったからこそ、強いブランディングや、教育の集中化の実現があったのだあろうこともよく意識しておくべきではないだろうか。