こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

リーダー力について思うこと。

リーダー力、というものに対して思いを馳せることは誰しも一度はあるものだと思うが、ぼくは最近、それは3つのことに集約されるな、と思っている。

 

1.精確性

真のリーダーであれば豪放磊落で大雑把でも、周りが支えてくれる!のように思う人も多いと思うけれど、本当のリーダーは仕事に対して精確でなければならないと思う。

一つ目に、リーダーがしょっちゅう間違っていたら、組織において精確なものを作ろうという意識が低下していく。二つ目にリーダー自身の仕事には責任の重いものも多いから、まちがいは組織全体に致命的な損害を与える。

精確性を欠くと、この二つのことでリーダーはリーダーと見なされなくなり、リーダーの一番近くにいる「ミスをしない人」に仕事の信頼が寄って、裏リーダーが誕生してしまう。

なぜか自己啓発本とかにはあまり書かれていないけれど、精確性は一番大事なリーダーの資質なのではないかと感じている。

 

2.先見性

「社長の仕事は、魚のいる場所に漁船を連れて行くこと」という言葉が好きで、これにすでに集約されてると思うんだけれど、やはりリーダーは部下よりも高みに立ち、より遠くを見渡し、組織の進む方向を決定づけられなければならないと思う。

この先5年、10年、20年、この組織はどの方向に動いていくのかを見定め、行く末をコントロールできる能力が絶対的に必要だろう。

そのためには新しい情報を常に仕入れ、業界の風向きを読み、周りの動向を探るアンテナを高く張り続ける必要がある。コストをかけて、質の高い情報を自分の脳内に入れる努力を欠かしていないんだろう。

 

3.トラブル解決力

ひとりの社員が解決できなかったトラブルはその上司へ、それでも無理ならそのまた上司へと一つずつステップを上がっていく。だから、リーダーのところには純度の高いトラブルがごっそりと集まってくる。これについてよく情報を聞きとり、解決の筋道を立てるのは他の誰も代わることのできない仕事だ。

逆に言えば、その階位におけるトラブルの処理に手間取っているうちは、上の階位に進む資格が無いと言ってもいいのではないかと思う。

トラブル処理能力は「人間力そのもの」と言ってもいいようなところがあるから、部下に尊敬されるかバカにされるかの明暗を分ける岐路でもあると思うので、いくら頭が良くて上の1・2ができても、ここができないと無に還っていく感すらある。

 

以上3つ。

その他いろんな本に載ってたりする「聞く力」とか「共感力」とか「自己管理力」とかそういうのあるけど、全部これらの下支えにある力のような気がする。

タイブレーク制、ばんざーい

夏の高校野球こと甲子園大会が、「タイブレーク制」を導入することで話題になった。同点で決着がつかないとき、ノーアウト1,2塁からイニングを始めたりするシステムだ。

これの導入が決定するまで甲子園大会は引き分けのときは再試合を行う規定になっていた。これは狂気のようなシステムである。

高校生たちの疲労度や全体日程の進行を考えれば、再試合など絶対にするべきではない。プロ選手だってそんなことやらない。サッカーだって制限時間内に結果が出なければほとんど運みたいなPKで決めてしまうでしょう。

なのにこの規定がずるずると今まで運用されてきてしまったのには、いろいろな要因があるとは思うけど、いちばん大きいのは「再試合になると盛り上がるから」であろう。

盤石の広報布陣と応援文化

高校野球は、日本のコンテンツ界でもかなり最強クラスで、公共放送を占有して全試合が全国放映されるうえに、三大新聞社が後援してばんばん報道しまくるという異常なまでに強固な報道体制をもっている。

そして定期テスト後に合わせて地方予選が始まり、全国の高校生が全校応援に駆け付けて夏の最後の思い出を作って愛校心を高め、その1か月後、帰省の時期に合わせて全国大会を放映し、集まった親戚たちと地元の高校を応援して愛郷心を高める。

こんなに全国・全世代的に、放映システムと個人の内面から盤石の体制で日本に浸透しているコンテンツは他にない。

そんな中で「○○学園と××商業が再試合!」などとなったら、全国的に「うおおーー!」と盛り上がる。運営側からしてみれば、再試合というのはほとんどタダで最高のショーを提供してくれる規則なのだから、これを手放す手はないだろう。

しかし現場では

しかし現場(各県の高野連)にアンケートを取った結果、ほとんどの県がこの再試合に反対、つまりタイブレーク制の導入に賛成だったのだ。回答があった県のうち95パーセントが「タイブレーク制に賛成」の意見を出したそうだ。↓

私も高校生の野球大会を運営する立場になったことがあるが、正直、運営側からしてみれば、再試合規定などクソめんどくさい以外の言葉が見当たらない、意味不明な代物だった。

「甲子園が再試合だから」だけの理由で下部大会まで再試合規定を要求され、再試合が発生したときのことまで見込んで球場や運営校や審判の手配を調整しなければならず、心的・物理的負担は倍増すると言っていいものだった。
勝手にタイブレーク制を導入してはいけなかったので、結局、くじ引きで上位進出校を決めるというルールを適用せざるを得ず、どう考えてもタイブレークの方がマシだろうと何度も思ったものだった。

今回のアンケート結果は、各県の高野連が「再試合規定、無くなれ無くなれ……」と思い続けていたのが明らかに表面化した形になったと言っていいだろう。県高野連は中央組織と違って、現場教員の集合体なので、運営を省力化しないことには立ち行かないのである。

「熱戦」を期待するのをやめましょう

と、このように明確に悪であるとすら言える再試合規定なのだが、それでもここまでまかり通ってきたのは、「熱戦」を期待する国民のまなざしが原因なのではないだろうか。

こんなにも現場からNOを突き付けられているシステムであるにもかかわらず、「タイブレーク制の導入に疑問を呈する!」みたいな声はネット上にもまだ多く、新聞記者までもが堂々と「再考を要する」とか書いていて、「じゃあ、お前県大会運営しろよ」以外の言葉が見当たらない。

たまに、高野連は高校生をショービジネス化し、食い物にしている!と糾弾する高野連批判記事を見るが、そもそもそれを生み出すのは「熱戦」を期待する我々のまなざしだということも、意識するべきなのではないかと思う。