こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

「公立中高一貫校って存在自体がヘンじゃない?」ってなんでみんな言わないの

国策としての義務教育の目的は「教育的弱者をつくらない」こと

前の記事で、国民の全てが教育を受けられる「ネットワークとしての教育」という考えについて書いたけど、これは教育システムの根本とも言えるもので、公教育の目的というのまさにこれを完成させることに尽きると言ってよい。とりわけ義務教育段階の学校においては。

あらゆる環境におかれた国民が、確実に義務教育を受けられること。このために公立校のネットワークがあり、養護学校(特別支援学校)があり、病院のなかには院内学級があるのである。さらに高等学校段階でも夜間制や単位制の学校があったり、少年院の中でさえ授業があったりする。

よく公立学校を「あんなもの、ハッ!」とバカにする知識層もいるが、あのシステムを組み上げるのはなかなかに大変な骨折りである。この教育的弱者を少しでも作らないためのネットワークの完成というのは、まさにその人の人生を賭すに足る一大事業だと思う。

公立の中高一貫校っておかしくない?

しかしそう考えると、公立の中高一貫校というのはすごく変な存在なのだ。

だってそう思いませんか?

ネットワークを構築して教育的弱者を作らないことを目的としていたはずの国や自治体が、率先してエリート教育を始めるわけなんです。12歳の段階で優秀な若者を選抜して、6年一貫で特別な教育を施すわけです。これはどう考えても行政が行うべき教育サービスの本道から外れていると言わざるを得ない。

「エリート教育じゃないから」「試験で選抜してないから」と必死で言い訳しても、現実はどう見ても違います。地域で一番二番を争う学校を改組して、入学検査を行い、優秀な教員を集結させ、中学段階から海外へ修学旅行に行かせたりしてるわけです。隣の中学校が奈良に2泊3日で行っているのを尻目に。これが特殊じゃない教育とはどう考えても言いきれない。

こういうオプション性が強いサービスは、本来は私学界が担えばそれでいい部分だった。しかしそれがいま次々と生まれ、受け入れられ、すでに深く浸透している。あまつさえ学習塾に受験専門コースまででき始めている。そのため、授業料を払う余裕のある家庭の子が、この中等教育学校にいっそう進学しやすくなる。

こんな格差を作り出すようなシステムを行政が運営していいのだろうかと思う人がいて当然のはずなのに、僕が不思議なのは、このやり方に文句を言う人がびっくりするほど少ないことだ。いま「公立中高一貫校 不公平」で検索してみたが、批判をしているのは教育学者ばかりだった。一般の人たちがこれに燃えさかるように反対しているという熱がまったく感じられない。世論は「別にいいんじゃないの?」と思っているように見える。

本当にいいの?税金使ってるんだよ?

むろんこの中等教育学校の運営には、自治体で集めた税金がつぎ込まれている。税金を集めて作った質の高い教育サービスを行う学校に、学習塾に通わせる収入的余裕のあった高所得層の子供が送られる。強者と弱者の間を差を少しでも埋め、公共サービスを充実させるために集めた税金が、強者(=中高一貫校の入試を突破する子供を教育する財力がある者)のために使われているのである。本当にいいのだろうか。

「だって公立校でも、高校・大学では格差あるでしょ」というのはそうなんだけど、何度も言うが12歳から義務教育段階でやっていいのかという問題だ。僕はダメのような気がしている。だって例えば公立中学校の中に1学級だけ成績優秀者を集めた選抜クラスとか作ったら変でしょう。それが学校ごと違ってしまえばOKなの?? って話だ。

これは海外から見ても変な流れなのだ。

階層性が強かった西欧社会では、教育の現代化において公教育の中から階層性を取り除くことに心血が注がれてきた。エリート階層が進む学校と労働者階層が進む学校が早期に分岐してしまう「複線制」から、教育的に平等な「単線制」へと変化させ、民主主義社会に見合った教育システムを完成させてきた。

しかし日本がやっているのはこの逆なのだ。公教育が、教育の階層化を率先して推進しているのである。なので海外から見たら「日本は何をやっているんだ?19世紀に戻ろうとしているのか?」と、とらえられかねないのだ。

というわけで、どう考えても行政が進めるべきことではない、変な税金の使い方をした妙な教育システムだと僕は思うのだが、世間はみんなその内在する危険性に気づきもせず公立中高一貫校の設置をどんどこ進めていく。僕にはみんなが階層化の是認に進んで行くように見えてならない。