こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

塾講師は賤業なのか?

去年ぐらいにこの記事を読んで以来、心に引っかかっている。 

「塾を悪者にする風潮にうんざりしている」という要旨なのだが、個人の実感から本質に迫る鋭い視点が素晴らしい、名記事である。

 そして僕が特に気になったのは、記事内で父親が自らを「すまんな、うちは賤業で」と自嘲するシーンである。

そりゃ職業に貴賤なんてあるわけ無いし、哲学を持って働いている人に対して「お前は賤業だ」だなんて言う権利は誰にも無い。

しかしそんなきれいごとを超えて、その父親のつぶやきは心に迫るものがあった。
というのも、近い関係にあった高い立場の先生が、「塾の講師なんて学校の先生にもなれなかった奴らだ」と言い放つのを、目の当たりにしたことがあるからである。
(注:私の勤務校ではありません)

一体なぜそのような眼差しが世間に生じてしまうのだろう? 僕自身も学生の頃は塾講師で食べていたし、生徒の指導に関して多くのことを学んだ。私立学校で働く今は、営業で回ることも多く、お世話になっている方がたくさんいる。

聞くに耐えない批判だ。

 

授業料をもらうのがいけないのだろうか?
そうしたら僕ら私立学校まで悪者だと言うことになってしまう。私立学校も学習塾も、家計の中から教育費を多めに支出する志のある人々によって存在しているのに、塾だけ悪者にされるのはおかしい。

それとも、学校よりも塾の授業のほうがありがたがられるのがダメなのだろうか?
そこはもっと自信を持って欲しい。理科実験は学校でできても、学習塾ではできない。学校でしかできないことは山ほどある。近い業界だが、棲み分けながら助け合っている。

 

とはいえ、確かに学習塾業界と関わってみると、一定割合で「怪しい人」がいるのも事実ではある。
塾経営コンサルと称して、情報商材セミナーみたいなやり方で食っている雲助みたいなのもいる。
僕なんか教育業界の中で、理科教材の工夫や実践に軸を置いて生きている人間だから、隣の業界でそんな人間がうろちょろするのはやめて欲しいなと思うこともある。

 

しかし、僕が問題の本質であると思うのは、塾業界がその性質上「入試」というシステムにぶら下がって成立せざるを得ない業界だというところである。
それゆえ、教育システムの一部である入学試験に特化して口器の形を変え、そこから蜜を吸って生きているのでしょう、あなたたちは、という冷たい目が塾業界に向けられているのではないかと思う。

 

教育業界全体を俯瞰してみれば、業界が持つリソースのうち「入学試験の実施」に振り分けられる割合はそれほど高いものでは無い。予算額を見ても明らかである。
学習活動や課外活動の充実こそが業界の本丸だから、それを通して生徒・学生を成長させることにまずはリソースが割かれていく。
入学試験へと最優先にリソースが割かれることは絶対にない。

 

塾講師を賤業扱いする人には、塾がそのシステムの一部の仕組みを逆手にとってハッキングする集団のように見えているのかもしれないと思う。
先頭で紹介した記事の中の「これは鉄緑会で教わらなかったのか?」と部下をなじる言葉があるのだけど、これは言い換えれば「お前は教育システム全体をハッキングですり抜けたから、本質を理解していないんだな」と、部下を揶揄しているように言い換えられる。

 

とはいえ、塾講師を真面目にやったことがあるなら分かるが、どこの場にいても成長したいという10代の子供達の気持ちは変わらない。それに向き合うことには貴賤はない。
憎むべきは劣等感を煽り、学校歴を賛美し、危機意識でたきつけ、学びから喜びや楽しさを奪おうとする者たちの存在である。

それでは情報商材屋さんや自己啓発屋さんと変わるところが何もないではないかと思う。