こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

ぼくは自民党に投票していた。政策のことは知らないが。

ツイッターでは自民党へのヘイトであふれているのに、実際に選挙になると自民党がそれなりに勝つ。

そして「誰が自民党に投票しているの?」というコメントがぞろぞろと出てくるわけだが、少なくとも僕はある程度の時期までは自民党に投票していた。

理由は簡単にいうと、民主党政権に失望しまくっていたからだ。安倍首相が選挙運動になると「悪夢の民主党政権を思い出して」というフレーズを使って活動しているが、安倍政権を取り戻した勢いとなった人たちがどのような人たちであったかを知り、かつその層の心を的確に突く表現だなと思う。

そしていまだに安倍政権が維持されている理由は「炎上耐性の強さ」に尽きると思う。ちょっと考えてみたいと思う。

 

国政にとって一番悪いこと

僕は国政にとって一番悪いことは「首相と内閣がコロコロ変わること」だと思っている。外交を通し、世界の諸国と渡り合うことで国家の地位を安定させなければならない現代日本において、トップ層がころころ入れ替わることほど国益を損なうことはないのではないかと思う。いくら外交官が有能でも、国のトップがすぐに入れ替わるのでは軸を定めた外交ができないであろうことは想像に難くない。これは多くの国民が同じ気持ちでいるのではないかと思う。

だからこそ小泉さんが辞した後の安倍・福田・麻生とコロコロと首相が入れ替わった時代の自民党に対して選挙の結果は芳しくなく、政権は民主党に移った。

 

民主党になってはみたが

さて、いざ民主党になってみると、この政党に実行力がからっきし無いことが露呈される。上げないと言っていた消費税は上がったし、仕分けると意気込んでいた国家予算も大して削減できず「仕分け」という新語だけを生んだ。

外交においても中国の漁船1隻に情けない対応しかできず、末端の隊員から動画が流出する結果となり、国家を外敵から守る交渉力に欠けていることも露わになってしまった。僕が民主党の失政として何より印象に残っているのはこのsengoku38流出事件である。

そして何より、相変わらず首相は1年おきにコロコロ代わり続け、与党の支持率回復の策が「首相交代」しかないという悲しい事実がかなりの数の国民を失望の底に追いやったのではないかと思う。

選挙で勝てなさそうだから次の人に首をすげ替えるというのは、国民にとって理由としてはどうでもよく、政治や政策のことを置き去りにして政党保身を優先した意味のわからない行為だ。

それゆえ、改選期間の限界まで引き伸ばして行った選挙では大敗し、政権はふたたび自民党に移ることになったのだろう。

 

炎上耐性と安倍首相

今でこそ日本でなにより必要なのがこの能力だと言われるようになったが、安倍首相は早期からそれを見抜き、行動原理の最優先においているように思える。

過去の首相の炎上耐性が低すぎて失言や読み間違えで支持率を急落させた事例を参考にし、じっくりと大きな踏み間違えの無いように歩を進めていた。

僕はその姿にとても安心した。首相が1年おきにコロコロ変わる国がどう考えてもおかしいということは20代の青年にでもわかった。ちょっとぐらい政策に納得が行かないところがあっても、しばらくはやめないで続けてくれそうな人を選ぶことが自分たちの生活にとっていいのでは無いかと思えた。

甘い響きの政策を大きく喧伝した民主党は「甘い政策は結局実現しない」ということを結果として教えてくれたし、離合集散を繰り返している連中なんて頼りにならないということは新進党の崩壊をみてきた僕らは嫌というほど知っていた。

それゆえ、たとえ政策に甘い響きがなくともしばらくは一つの政党に安定して政権を持ってもらうのがいいんだろうなと思えたし、そういう思いを持っている人が多かったから自民党はそののちしばらく政権を保つことができたのだと思う。

 

枝野さんあらわる

その後の民主党のわけのわからなさは知っての通りだが、一人だけまともな人が居た。

枝野さんだ。

枝野さんは原発事故のときの毅然とした対応で国民の密かな支持を集めてきていたけれど、「謎の離合集散はもうしません」という、民主党に一番欠けているところを補った形で新政党を立ち上げた。「まさにそれだよ、枝野さん!みんなが野党に一番求めていることだよ!」とその視点の確かさには心から心服したのを覚えている。

 

これから先、政治がどうなっていくのか僕には難しくてわからないが、安易に離合集散しない二つ以上の勢力が競い合って進んでいってくれれば健全なのではないかなと僕は思っている。

今だったら絶対に導入されないスキー学習

「現代に発見されたとしたらジャガイモは絶対に食品として認可されない」、という話をたまに聞くことがある。

ジャガイモは芽に毒があるだけでなく、光を浴びて緑化した皮などにも毒がある。調理すれば無毒化されるとはいえ、けっこうな猛毒だ。死に至ることもあるらしい。現代でもたまに調理不十分で中毒したというニュースを聞く。

こんな危険な食品、いま発見されたのだとしたら、絶対に流通不許可になっているだろう。モチだってあんなに危険なのに歴史があるから認められていて、新参者のこんにゃくゼリーのように厳しい批判にさらされることも無い。

 

それと同じように、昔からやっているので認められているものの一つに、「スキー学習」があると思う。

スキーは危ない。衝突・激突による骨折、吹雪による遭難、事故の可能性はいくらでも考えられる。あんな多方向からの危険性が満ちている場所に、はしゃぎまわる中学生・高校生を連れて行くことは、学校内の他のあらゆる行事と比肩して断トツに危険度が高い。

その上、よく考えてみれば公教育のカリキュラムの中で生徒たちをただのレジャーであるスキーに行く必然性も全くない。

このように「スキー学習」はよく考えると何の必要性も無い上に危険度の高いことを好きこのんでやっているという不可思議な行事のひとつなのだが、これがいまだに学校文化の中で市民権を保っている理由はただ一つ、「昔からやっているから」であると思う。

今みたいに危険性に細かく騒ぎ立てれることの無かった時代に始まったので、そのまま続いてしまっている。もしこの文化が日本に全く無かったとして、今のこの時代に

「中学生をスキーに連れて行きましょう!」

とか言いだす人がいたら、間違いなく速攻で却下されると思う。

 

そう考えれば、つい最近まで昔からやっているので続けていたものはたくさんある。体育祭の組体操、騎馬戦、棒倒しなんかは徐々に姿を消し始めている。伝統校各校の遠泳や長距離登山なんかもそろそろ危ういのではないだろうか。

そしてスキー学習も、取りやめにする自治体がだいぶ増えてきたと聞く。

もし次に何かの事故があって大きく報道されたら一瞬で全国的に姿を消してしまうのではないだろうか。