こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

民間人校長が無理だった理由

ちょっと古い話題だが、民間人校長の是非が一時さかんになったことがあった。教育改革の手法として取り入れられたものの、けっきょく頓挫し、普及に至らなかったシステムの一つだ。じっさい現場にいても「あれは無理だろ……」と感じた。なぜ無理なのか。

 

1.そもそも校長ってそんなに権限が無い

校長という職は実は意外と権限が無い。学校にしか出入りしない生徒・保護者にとってはすごく権限がある人のように見えてしまうが、実質はそうでもないのである。(特に公立学校において)

公立学校において学校の教育方針を決定する権限を持つのは「教育委員会」であり、またその長である教育長や委員長だけなのだ。(だって同じ市内の中学校なのに教育内容がバラバラだったら絶対市民から怒られるじゃないですか)

というわけで、校長は使う教科書を決めることすらできない。どちらかというと、教育委員会の決めた方針や法令通りに学校の運営がなされているかを現場でチェックする監督者、悪く言えば「見張り番」ぐらいの役目なのだ。会社で言えば、本社ではなく、出先の営業所の所長ぐらいの感覚である。

もちろんある程度の人事権はあるのだが、それを差し引いてもやっぱり世間で思われているほどの権限はない。なのであまり効果は無いのだ。

じゃあ、その権限がある教育委員ってのは誰なるんだという話になるが、これはまちまちである。校長の中でも実力がある人がなる場合は多いが、著名人や元政治家、市役所の幹部職員、教育学関係の教授がなる場合もある。

なのでほんとうに権限がある人については、民間人登用はずっと行われているのである。

 

2.教員は現場出身じゃない人の話を聞かない

たとえば相撲部屋の親方やプロ野球の監督に、現場経験の無い人を起用したとして、うまくいくだろうか。もちろんいかないだろう。ちょっときつい要求しただけで「お前に何が分かる」と一蹴されるのが普通だろう。

教員組織もこれとほぼ同じである。現場というのはとにかくしんどい職場だ。1クラス40人の元気爆裂なパワーを受け止めて制御しながら、正解が無い中どうにか運営していく必死の戦いである。とくに特に公立中なんて、言われたままに入ってきた玉石混交の集団である。いかにこれを3年間維持しつつ形にして仕上げるか、もうとにかく大変である。

そういった叩き上げの経験をしたことのない人間がいきなり「志願してここのボスに就任しました」と出てきても、やっぱり、どう考えても半笑いで無視される。うまくはいかないだろう。

反面、教育困難校での勤務経験がある教員はそれだけで無条件に尊敬を得る部分があったりするので、そういった教員を中心に校長に据えていった方が現場の士気はよっぽど上がる気がする。

 

3.「私こそ本当の教育を知ってる病」の顕現

じゃ、なんでこのシステムが折りに触れ顔を出すのかといえば、国民の4割がかかってるんじゃないかと思える上記の病気の現れなんだと思うんです。

例えば僕なんかはPCの素人なので、「C言語iPhoneアプリ作れ」と言われたらできるかといえば、まあできないと思うんです。また、野村証券に入って資産運用できるかと言われたらできるかといえば、それもできないと思うんです。たぶん僕以外も同じだと思うんですね。

なのになぜか教育という専門職だけは、かなりの割合の人間が「自分は正解を知っているのに、現場の教員はみんなバカ。私なら今すぐできる」と思ってしまう病気にかかっているんですね。

実際そう簡単でもないのは、少年スポーツの指導者に行き過ぎたが多すぎるという度重なる批判からも察せるし、シロウトに変な発言権を与えて国民から嘲笑を浴びた教育改革国民会議(名言→「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」)のありようを見ても明白であるように感ぜられる。

教育改革国民会議.「子どもへの方策」

というわけで、この「病のあらわれ」としか言えない謎のシステムが現在の教育を変える決定打になるわけもないので、社会で一定の成功を成した鼻息の荒いおじさんや、気品の高いおばさんが果敢にチャレンジして、次々と散っていき消滅する結果になってしまったのも、しょうがないことなのである。