こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

「私立中」という選択肢は何なのか

「私立中ねぇ……」と、わが子の未来を考える人のために、ごくざっくりと私立中と公立中の違いをまとめようと思う。ちょっと私立びいきで書くので、公立中で働いている人は気を悪くしないでください。

 

1.私立中学校は「18歳の将来像」に責任を持つ

公立中は基本的には生徒を選べない。学区の中から自動的にもさーっと集まってきた生徒を、15歳までの間にいかにして少しでも大人にするかを考える機関だ。

発達段階の個人差が激しい12~15歳を集団生活させていれば、トラブルは雨が降り注ぐように起こるから、教員集団の精力は「いかにそれらを切り抜けて彼/彼女らに卒業を迎えさせるか」にそそがれる。その結果、組織の方向性は「いかにこの集団を学級・学校として維持するか」「トラブルに伴う責任をどう回避するか」に向かう。これはしょうがないことだ。

というわけで、とにもかくにも公立中は「高校に送り出すまで」が仕事である。その先までの責任はない。無責任とかそういうことではなく、ただ構造的に見て「3年間」だけが公立中学校の意識の範囲なのだ。

ひきかえ、私立中高は6年間に責任がある。12歳で入学した子供たちが、18歳の青年になるときを常に心に描いて教育を実践していくことになる。この6年間は人間が大きく成長する時期でもあるし、中学高校の教育内容は関連が深いので、この期間を一括して見てもらえることの意義は非常に大きい。そういう意味ではすごく有利である。

2.私立中には個性と選択がある

前項で説明したように公立中は自動的に生徒が集まる機関なので、強い個性を持つことは無い。というか、持ったら同じ市内で不公平が生じてしまうので、そういう意味でも個性を持つことは無い。まるでビジネスホテルのようである。それゆえ、「●●中スピリッツ」みたいな、毒にも薬にもならないような実体の薄い愛校スローガンを掲げさせられることとなる。(正直、生徒も先生も互いに、あの謎の教育目標的スローガンには辟易しているところがあるのではないだろうか)

それに対して私立学校はどの学校にも建学の精神と個性がある。建前ではない真の教育目標だ。それこそがその学校が私学教育を実践する理由であり、存在理由そのものものだ。

それを尊重する者のみが教鞭を取ることを許され、それに従わんとする生徒のみがこの門をくぐることができる、そういうスタンスだ。ホテルで言えばシティホテルである。

この「学校の個性」と「生徒の選択」に基づく教育がこそが、教育に何よりも必要な「意欲」を高く保った学習集団を産むこととなる。これが公立では代えがたい私立の良さであろう。

3.私立中は時代を先取っている

同じように最初の理由から、公立中学校は保護者の意向を常にうかがう必要がある。

最近特にひどい。もう教育の目標が生徒の成長ではなく、保護者からのクレームが無いことに切り替わってしまったんじゃないかと思えるくらいだ。税金で運営してるんだろ、何とかしろ、ということとなるわけだ。

しかし私立中はそれを気にする必要が無い。もちろん無視していいということではないのだけれど、基本的にうちの方針に賛同いただける方は入学してくださいというスタンスだからだ。しかしそのぶん、時代を先取る自由と必然性があるとも言えるだろう。

保護者からの細かい要求に答える義務から解放されているので、教育の方向を次の時代に必要とされる能力の探求に向けられるという自由。そしてそれをしなければ教育内容に敏感な私学志向の保護者に見放されてしまうという必然性。

私学志向の保護者というのは消費社会でいう「アーリーアダプター」なので、教育に対する審美眼は非常に高い。誰しもが教育に対して一家言を持つ彼らに対して「まさにこの教育こそ欲しかったものだ」と思わせられなければ、生き残っていけないのだ。

 

ちなみに中学校がある地区の文教レベルとかはあんまり関係は無い。僕自身、全国でもトップレベルの文教地区の公立中出身だが、上記3項目は同じだったように思う。いくらレベルが高くとも出る杭は許されない世界なので、教育委員会レベルで平板化されてしまう。

もちろん、私立中にはその代り3年間で総計400万円ぐらいする諸費用がかかるわけだが、それを払う価値があるかどうかを判断する参考になればいいと思う。