こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

「アクティブ・ラーニング」の意義がいまいち分からない人のために

ちょっと知られた話ではあるが、教員はキャリアを積むにしたがって「何を教えるか」から「どう教えるか」、そして「生徒はどう学んでいるか」に視点が移っていくという。これはけっこう正鵠を得ている。

教員の成長三段階

教育実習生~1年目ぐらいまでは何を教材として取り扱ったらいいのか、どうストーリーを作るかで悩み、毎日てんやわんやになるが、3~4年すると基本的な筋道が身についてきて、授業内でどんな技を使うか、生徒の興味をどう惹きつけるかに意識が向くようになる。

しかし6~7年目になると、いくら教員側が手を変え品を変え興味を引き付けても生徒の学ぶスタンスがさほど変容していないことに気が付き、生徒が「学び」に向かうにはどうしたらいいかを考え始めるようになる。

これはもちろん教員でなくても、普通に感覚が高い人ならだれでも気が付くことで、例えば講演会で全国を飛び回っている著名人なんかでも「聴衆は毎回違うのに自分の講演の内容は毎回一緒でいいのか、問題なのは聞きに来る側の姿勢なんじゃないか」など思ったりしているようである。

学びの主導権はどこにある

そうなのだ。教員がどう教えるかの技術を突き詰めすぎると最後には、「落語家」のようになってしまい、授業の主役が先生になってしまうのだ。本来、授業での学びの主役は生徒でなければならないのに、学びの主導権を教員が握ったまま自己満足してしまい、それに気づかないまま行き詰まってしまうのだ。

よく、「授業技術は無いが怒らない先生」と、「授業技術がある普通の先生」の間で成績格差がほとんど無い、という現象があるのだが、これはこの理論に照らせばすぐわかる。前者のクラスでは生徒があきらめて自分たちで学ぼうという意識に移っているのに対し、後者のクラスでは生徒たちは勉強もしてないのに分かった気になって自ら学ぶ姿勢が育たなかったのである。

こういったケースではむしろ教員は生徒から「奪って」いるのだが、教員自身は「頑張った!達成した!」と思っているのでこの困難さに気づくのは難しい。

そこで台頭するアクティブ・ラーニング

しかし困ったことに、日本の教育行政では「何を教えるか」を規定した決まりしかないため(学習指導要領)、「どう教えるか」「生徒はどう学んでいるか」は特に意識しなくても、とりあえず給料は淡々ともらえてしまうのである。まずここが一つ目の問題。

続いて「どう教えるか(教え方)」がうまい先生は生徒の支持もあるから学級運営で大コケすることも少ないし、保護者の評判も悪くなく、学力も下げさせずに教員生活を送れてしまうので、非難されることはまず無い。生徒が「学び方」を学ばずに卒業してしまうことは教育過程においてそれなりの損失なのだが、それほど大きな声では指摘されない。これが二つ目の問題。

そこでいま大ブームとなっているのがアクティブ・ラーニングである。
アクティブ・ラーニングって何のためにやってるの? と思うひとも多いと思うが、端的に言えば学び方を学ぶための手法、学びの主体としての「生徒」を取り戻すためのはたらき、と言っていいと思う。生徒たちが毎回の授業の50分を「自分たちのもの」と意識して過ごすための各手法である。

佐藤学の「学びの共同体」も、西川純の『学び合い』も、突き詰めてたどり着くところはそこである。教員ではなく生徒が授業の主人公たるべきである、という思想の結実だ。「一過性のものでは?」と思っている人も多いと思うが、これはかなり違う、各方面の教育学者や現場教員が、日々痛感していたことの着地点だからこそ、こんな地盤が大震動したような動きになっているのだと思うし、この実践方向が急転換することもないだろうと思う。

最後ちょっと感じ悪く

 教育業界に身を置かない人だと、「生徒はどう学んでいるか」を肌で感じる人は少ないので議論が「何を教えるか」「どう教えるか」に向かいがちであり、高校で行列を教えないのはどうの、円周率が3なのはどうの、と初段階的な議論に終始しがちなのだが、学校教育という構造はそれだけ構成されるものではない。

「教室」という単位でどんな精神作用がここに働くことが最適なのか。そこまでを考えてぼくたちもあれこれ実践をしているわけなので、もう少し暖かい目で教育業界を眺めてほしいなあと思っている。

子どもが「感想」を文章にできない理由

「難しさ」は「自然概念からの遠さ」

幼児から始まって、児童・生徒がものごとを習得する難しさってだいたい人類史の発展の順番に沿っているなと思うことがある。理科で言えばニュートン力学の「力」って概念とか、人間の生得的な概念の中に生来に備わっている考え方ではないから、理解や習得に時間がかかるのだな、と。

ちなみに「力」はどうやって理解されていったのかと言うと、根本的に「加速度」って概念に注目しないと理解することができない。人間が真面目に加速度に注目しだしたのって歴史の中でも結構あとの方だ。ガリレイがはじめて加速度を厳密に測定し、全ての物体に等しく加速度が生じることを発見した。これが1600年ごろのことだから人類史で言えばだいぶあとだ。だから難しい。

「書き言葉」は意外と難しい

さて、そう考えたときに意外と難しいのが「書き言葉」の習得および、それによるコミュニケーションである。

喋り言葉を何かに記してそれの代替とする、という行為は人類史で2回しか起こっていないらしい(古代オリエントと古代中国。ほかの地区で文字が起こったのは、この2つの地域でやっていたことを真似て始まったと考えられるらしい)。というわけで歴史を算定すると、たかだか5000~6000年前のことだ。結局最後まで文字を持たなかったアイヌや南米みたな文化だってあるし、「言葉を書く」と言う行為は文明にとって必ずしも必要な行為ではないのだろう。

それにひきかえ喋り言葉の歴史はもっと古く、10万年くらいまで起源をさかのぼるのではないかと推察される。旧人類のネアンデルタール人も喋り言葉を操っていたと考えられるらしいのでとんでもなく歴史は古い。

そしてまた古文書を見るに、書き言葉の第一の目的はおもに「記録」である。史実の記録、商取引の記録、書き残しておかねばならないことについて記録することが人間の書き言葉の本質的な目的である。心情の吐露とかではないのだ。

ここらの事実から推察すると、喋りはじめて10年も経たない子供に「感想文を描け」というのは本当に酷なことなのではないだろうか。喋り言葉であれば心のコミュニケーションはできるものの、書き言葉となると「記録」するのが限界で、コミュニケーションに至らないのである。20年も30年も言葉を使い、書き言葉でコミュニケーションするのに慣れてしまっている大人にとっては「なぜ喋れるのに書けない?」と思いがちなのだが、子どもには本当に難しいのである。

社会性の面でも難しい

さて、子ども同士の社会的関係を見たときでも同じように、大人がふつうに持つような「公民意識」を持たせることはすぐには難しい。

元来、人間は数十人の組織の中で生活することをを基本としてきた存在だから、大きな組織の一部として自分を見たり、国家の一部として自分を見たりすることはそうすぐにはできない。それゆえ、発達の不充分な存在である子供に集団を形成させると「同質化と排除」という原始社会的な相互関係にどうしても陥ってしまうのだ。人類が歴史の後半でようやっと手にした近代民主主義なんてそうたやすく身にはつかない。これも人類が持つ宿命だろう。避けて通れない道なのだ。

というわけで子どもの集団のコントロールついて、大人が慣れてしまっているような原理をそのまま適用しようとする人がわりと多いのだが、それが思うほどたやすいことではないという現実はこの「人類史に比例」の考え方からある程度説明がつくようにも思う。