こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

特別奨学生を取りすぎる私学はダメ私学です

奨学生の免除分は誰が払うのか

「特別奨学生」とかそういう名称でよく呼ばれるが、いわゆる成績の良かった生徒に授業料などを免除する制度が私学にはよくある。

が、端的に言って、あの制度が妙に充実している私学に子供は入れない方がいい。

だっておかしいでしょう、そのぶんのお金は結局、他の生徒が普通に払っている授業料から穴埋めしてるわけだから、構造的には特奨生の授業料を周りのクラスメイトが払っていることになるんですよ。

本当に教育内容に自信がある私学だったら、特奨生のシステムを生徒募集の際に特色の筆頭には挙げないはずだ。「特別奨学生」とかかっこいい名前で呼んでも、結局その正体は「教育の安売り」なわけだから、小売業界で安物売りが最終的には自分の首を絞めるのと同様、特奨システムは学校の首を絞める。「安いからマック行こう」みたいなレベルに学校の格が下がり、「あそこは特奨が取れたら行く学校」という評価しか得られなくなるだろう。やはり私学教育は、その教育を適正な価格で買おうと思わせてこそ、長く信頼され存在していくものでは無いだろうか。

そして、そういう私学の教育方針を強く支持してお金を払う価値を見出してくれる保護者の層こそが私学の魂を支えてくれるのであろうし、もし学校に少しでも授業料を安くしようという気持ちがあるのならば、生徒全員の授業料を少しずつ下げる方が、生徒に対して正直に向かい合う方策ではないかと思う。どうだろうか。

じっさいの許容範囲はどこまでか

ただ、どうしても「奨学生は無いんですか」という質問は志願者の保護者の中に根強く存在する。やはり私学教育は高くつくから、万が一でも取れれば、という気持ちはあるのだろう。そういう層が、せめて受験でもしてくれれば私学としては嬉しいので、一応、システムとして存置している学校はかなり多い。

まあそれでも、定員の3%くらいに対して入学金免除か半額免除ぐらいが妥当な線じゃないのだろうか。授業料まで免除するのは、やはりちょっと違う気がする。(あくまで個人的な見解に過ぎないけど……)

まあとにかく、中学・高校生活は人生でただ一度しかないものなんだから、そういう質問を受けるたびに「奨学金に魅かれて娘・息子を入学させていいのかな」という気持ちがしている、というのが我々サイドとしての本音でもある。

「私立中」という選択肢は何なのか

「私立中ねぇ……」と、わが子の未来を考える人のために、ごくざっくりと私立中と公立中の違いをまとめようと思う。ちょっと私立びいきで書くので、公立中で働いている人は気を悪くしないでください。

 

1.私立中学校は「18歳の将来像」に責任を持つ

公立中は基本的には生徒を選べない。学区の中から自動的にもさーっと集まってきた生徒を、15歳までの間にいかにして少しでも大人にするかを考える機関だ。

発達段階の個人差が激しい12~15歳を集団生活させていれば、トラブルは雨が降り注ぐように起こるから、教員集団の精力は「いかにそれらを切り抜けて彼/彼女らに卒業を迎えさせるか」にそそがれる。その結果、組織の方向性は「いかにこの集団を学級・学校として維持するか」「トラブルに伴う責任をどう回避するか」に向かう。これはしょうがないことだ。

というわけで、とにもかくにも公立中は「高校に送り出すまで」が仕事である。その先までの責任はない。無責任とかそういうことではなく、ただ構造的に見て「3年間」だけが公立中学校の意識の範囲なのだ。

ひきかえ、私立中高は6年間に責任がある。12歳で入学した子供たちが、18歳の青年になるときを常に心に描いて教育を実践していくことになる。この6年間は人間が大きく成長する時期でもあるし、中学高校の教育内容は関連が深いので、この期間を一括して見てもらえることの意義は非常に大きい。そういう意味ではすごく有利である。

2.私立中には個性と選択がある

前項で説明したように公立中は自動的に生徒が集まる機関なので、強い個性を持つことは無い。というか、持ったら同じ市内で不公平が生じてしまうので、そういう意味でも個性を持つことは無い。まるでビジネスホテルのようである。それゆえ、「●●中スピリッツ」みたいな、毒にも薬にもならないような実体の薄い愛校スローガンを掲げさせられることとなる。(正直、生徒も先生も互いに、あの謎の教育目標的スローガンには辟易しているところがあるのではないだろうか)

それに対して私立学校はどの学校にも建学の精神と個性がある。建前ではない真の教育目標だ。それこそがその学校が私学教育を実践する理由であり、存在理由そのものものだ。

それを尊重する者のみが教鞭を取ることを許され、それに従わんとする生徒のみがこの門をくぐることができる、そういうスタンスだ。ホテルで言えばシティホテルである。

この「学校の個性」と「生徒の選択」に基づく教育がこそが、教育に何よりも必要な「意欲」を高く保った学習集団を産むこととなる。これが公立では代えがたい私立の良さであろう。

3.私立中は時代を先取っている

同じように最初の理由から、公立中学校は保護者の意向を常にうかがう必要がある。

最近特にひどい。もう教育の目標が生徒の成長ではなく、保護者からのクレームが無いことに切り替わってしまったんじゃないかと思えるくらいだ。税金で運営してるんだろ、何とかしろ、ということとなるわけだ。

しかし私立中はそれを気にする必要が無い。もちろん無視していいということではないのだけれど、基本的にうちの方針に賛同いただける方は入学してくださいというスタンスだからだ。しかしそのぶん、時代を先取る自由と必然性があるとも言えるだろう。

保護者からの細かい要求に答える義務から解放されているので、教育の方向を次の時代に必要とされる能力の探求に向けられるという自由。そしてそれをしなければ教育内容に敏感な私学志向の保護者に見放されてしまうという必然性。

私学志向の保護者というのは消費社会でいう「アーリーアダプター」なので、教育に対する審美眼は非常に高い。誰しもが教育に対して一家言を持つ彼らに対して「まさにこの教育こそ欲しかったものだ」と思わせられなければ、生き残っていけないのだ。

 

ちなみに中学校がある地区の文教レベルとかはあんまり関係は無い。僕自身、全国でもトップレベルの文教地区の公立中出身だが、上記3項目は同じだったように思う。いくらレベルが高くとも出る杭は許されない世界なので、教育委員会レベルで平板化されてしまう。

もちろん、私立中にはその代り3年間で総計400万円ぐらいする諸費用がかかるわけだが、それを払う価値があるかどうかを判断する参考になればいいと思う。