こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

「留年」は、一番難しい指導なんですよ

留年を決裁できるのは校長だけ

熟練の教員がほぼ理解していて、新人の教員がわりと理解していないことはただ一つ、「学校はチームで指導をする組織」であるという点だと思う。

例えば、進級判定で話をするとしよう。
テストの点も悪く、提出物も出さず、授業態度も悪く、どうにも学習に向かわせるのが難しい生徒がいるとする。その彼に留年(原級留置)の判断を下す決定権があるのは誰かだろうか。それは組織全体のトップにいる校長だけなのである。いくら一人の教員が「あんな生徒は留年だ!」と主張したところで決定権を持つわけではないのだ。

学校は教育を行う機関であるから、生徒に向けて実施する内容は全て"教育・指導"に相当するものでなければならない。よって単に留年させることは指導ではないのだ。あらゆる手段を八方尽くして、個人の状況をかんがみて指導を尽くし「留年」が当該生徒および他の生徒への影響も含めて、唯一有効な手段と認められた時にのみ、校長が決済できるのである。

新人や、教育能力の低い教員はこの全体が見えておらず、生徒への指導をしばし誤る。本気で留年を教育手段の一つとして視野に入れるなら、逐次的に生徒の状況を担任などの同僚教員と共有して連携し、適切な援助として居残り補習や追加課題などを適宜実施して、それでも態度の改善が見られなかった、という結論に至る必要がある。留年という選択肢の決定は、簡単に見えて実は最も手間のかかる指導なのだ。(ちなみに「退学」も同様です)

孤立無援で燃え尽きそうな新人はいませんか

他に、講習を例に挙げてみよう。
進学講習・考査前講習などの名目で講習を実施する際、一番ダメなのは、個人が個人の判断で実施する講習である。若い先生だと距離が近いので生徒も「教えてほしい!」と群がって来るのだが、それでそのまま講習を始めるのは、教員の仕事としてはじつは二流である。若手ならまだしも、中堅になって許されるものではない。

本来、講習は年間指導計画に組み込まれて実施されるべきであり、それが反省・改善を経て学校全体の指導力へと昇華していくのが理想だ。来年の、3年後の、5年後の学校の指導体制のありかたまで見据えての実施することが、中堅の教員として「きちんと仕事している」状態なのである。

もし、自分はこんなに頑張ってるのになぜ評価されないんだ!と思っている新人~3年目の教員がいたら、ちょっと振り返ってみてほしい。自己満足の頑張りになってないだろうか。

マンガ的ヒロイズムは捨てましょう

特に教員という仕事にはヒロイズムがつきまといやすく、マスメディアやマンガ・小説などもそれを後押しする傾向がややあるため、そういった教員は一見生徒うけ、保護者うけは良い。ただ組織全体で見ると計画性に欠けるため、仕事のしかたとしてはいつか行き詰まることになるだろう。

なので少しでも早いうちに個人のできることの限界に気付き、学校はチームで指導をする組織だという事実に気が付いてほしいと思う。