こまどりロビン教育科

中学・高校の教育関係を中心に、実感と事例を挙げながら書いていきます

プロセスを楽しむ、ということ

「結果」にしか興味が無いうちの父

父は某有名私大を卒業しているのだが、まあ、「すごい」って感じもしない会社員人生をすごし、定年した後もぶらぶらとしている。(ごめんね父さん、夜勤までして育ててくれたのに) 趣味もない、新しいものにほとんど興味もない。この人がこうなのも、ひとえに「プロセス」を楽しむということができないからではないかと思うことがある。

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この記事にある程度分かりやすく書いてある。

記事では「東京には結果しかない」という言い方で説明されているんだけれども、人間の楽しみには「プロセス」を楽しむのと「結果」を楽しむの2種類があって、たとえば食べ歩きなんかは「結果」を楽しむ方に入る。映画見るのも、遊園地行くのも「結果」だ。

それに対して野菜作りや日曜大工、料理なんかは「プロセス」になるだろう。それをやる過程の方にたのしみがある。

この「結果」型の趣味に意識がいきがちな人間は、仕事面では意外と大したことがない人の方が多い気がする。仕事のプロセスに夢中になれないため、結果がすぐに出ないときにプロセスの改善へ意識が向かわず、言い訳ばかりをすぐに考えはじめる。そして「プロセス」を大切にする人間に対して無駄な努力してるなと見下すようになる。

もちろん仕事だって、やっぱりその仕事が好きで趣味のように「プロセス」に夢中になれる人間が先へ上へと進んで行くから、いつしかそういった人たちに差をつけられ、置き去りにされることになる。そうしてますます「自分は悪くないのに」という思いを募らせて何もしなくなり、酒ばかり飲んでいるダメなおじさんができあがる、という結果になる。

まあ、うちの父なんか本当に「結果」が好きで、どこそこの店に喰いに行ったとか、何を買ったとか、「結果」の話ばかり延々としている。「プロセス」に夢中になった話はまず聞かない。いや、無くはなかったのだろうけど、いつしかすっかり潰えてしまったようである。

逆に、社会的地位の高いところまで行ったの人には、趣味でも一流の何かを持っている人がいることが多い。それもひとえに「プロセス」に夢中になれる力が高いからだろう。多趣味、という方向にそれを発揮している人もいる。また、若いときに出した結果以上のものが出せなくなっても、意識自体は「プロセス」に向いているから、歳をとっても趣味を飽きることなく続けることができる。

これは僕はなったことが無いので憶測だが、年収数千万みたいなレベルになれる人は能力もさることながら、そもそも稼ぐまでの「プロセス」が好きで、それに一生懸命になれたからではないかと思う。だって、好きで夢中になれなかったら、何でもそんなに頑張れないと思うし。

教育でもプロセスを大事に

さて教育においても、最近とみに重視されているのが「プロセス」の方である。解決のプロセスを学ぶことでどんな状況にも対応できる能力を持つ人間が育つだろうし、いつまでも学び続けることのできる人間にもなるだろう、という見込みだ。勉強においても「点数を取るために学ぶ」みたいな生徒より、そもそも「新しいことを知るプロセスが楽しい」という人間の方が伸びるし、同じ題材からもずっと多くのことを学べる。プロセスが本当に大事なのだ。

そしてもっと根本的に「プロセス」を愛することができれば、どんな職業についても一流の人間になれることは間違いない。「好きこそものの上手なれ」と言うが、そのプロセスを好きになれば何の仕事をしても人生に誇りと自信が持てるようになるはずだ。

というわけでうちの父のように、教育と言えば「●●高校は東大××人」みたいなことしか言えない「結果」人間がこれ以上増えないように、教育の「プロセス」を大事にしている学校がこの先もっとこの先価値を認められる社会になっていって欲しいなと思っている。